まりぽの楽描帳

『意識×出会い×行動』で人はいくらでも変わり、成長できる。『幸せの形』は人それぞれ。日々の海外生活(今はベトナム・ハノイ)を好き気ままにアップ。

生き方

暇で特にやりたいこともなく、
ただ時間を過ごすほど退屈なことはない。
かといって、忙しすぎ、立ち止まって
休むことのできない人生がいいとも思わない。

大学時代、日本に帰って驚いたことの一つは、
所属していたサークルが日曜日に活動をしていたこと。
毎週ではないけれど、ミーティングやらイベントがあると、
「皆空いているなら日曜日に…」という流れが、
当たり前のようにそこにはあったように感じた。
(そりゃぁ日曜は休日なんだから、空いてるでしょ。
何のための休日なんだか、と思った。)
団体がよい活動をしていくために、
皆で時間を持ち寄るということだった。
全くわからないわけではなかった。人数が多ければ、
なんとかまとめなくてはいけないのだろうし。
でもこのサークルでは更に、
クリスマスも毎年合宿で家を離れることになった。
これには私も家族も驚いた。

アメリカのテキサス州で過ごした高校時代。
マーチングバンドをやっていた演劇
日曜日は当然のように休みで、そもそも
休日に何か用事を入れるという概念は誰にもなかった。
とはいえ、例外がないわけではなかった。
でもたしか一度か二度、どうしても何か急用があり、
休日に用事を済ませないといけないことがあった時は、
先生が申し訳ないと最初に説明をし、
皆が納得した上で集まった記憶がある。
それだけ、休日を大切にしていた。
日曜日は教会へ行ったり家族で過ごすという、
キリスト教の人が多いからだろうと思う。
そこは、日本とはだいぶ違う。

私は結局大学時代、基本的に団体の方を選んだ。
といっても、中途半端に選んでしまったため、
家族との時間は減り、団体の活動も集中せず、
どちらも今となってはよくなかったと思う。
「二兎を追う者は一兎をも得ず」に近い感じかしら。
これは自分自身に問題があったと認識している。
でも当時の自分には、上手くやることができなかった。

家族への気遣いや配慮が足りなかった、
もっと一緒に過ごす時間を大切にすればよかった…
そう振り返る一方で、日本で
「プライベートよりも団体・組織を優先」、
「忙しいことが美徳」とでも考えているのかと
感じてしまった一部の人には、
いまいち共感することが難しかった。

大学時代は更に、活動をしていく上で、
ときどき授業を休むことが結果的に強制となった。
これもまた驚いた。
なぜ授業料を払っている大学の講義を、
活動を続けたい人にとっては強制的に休むはめになるという、
不思議なシステムができあがるのだろうと。

ベトナムへ来てからは、
自分が活動を人に呼びかけていく側になった。
キャンプ前やイベント前は少し切羽詰まり、
とにかく学生の空いている時間をもらい、
皆で集まろうとした。
それでも学生からは、
「授業があるから行けない」
「もうすぐ試験があるから参加できない」
という返信が多かった。当然だ。
そんな時、心のなかで
「1日、2日くらい授業休めないかなぁ…」
と思ってしまった。
ふと、自分の大学時代を思い出し、ハッとした。

ベトナムの学生に、授業を休むよう
強制したことは、もちろんない。
経験上、そんなことはしたくない。
でも、心のなかで休んで欲しいと、
そう一瞬でも思ってしまったことは事実だった。

活動や仕事にかけたい時間やもっている想いは、
人それぞれ違う。そこを変に強制したり、
有無を言わせない空気にしてしまうと、
いつかどこかでボロがでる。

バランスが大事。
でもそのバランスが難しい。

まだハッキリとはわからないけれど、
自分が理想とする生き方を実現するには、
どんな方法があるのだろう…。
理想を現実化させていきたい。