まりぽの楽描帳

『意識×出会い×行動』で人はいくらでも変わり、成長できる。『幸せの形』は人それぞれ。日々の海外生活(今はベトナム・ハノイ)を好き気ままにアップ。

卒業後の進路を決めた瞬間

2010年1月24日。
広島平和文化センターの理事長を務めるスティーブン・リーパー氏の、小さな講演会が実家の地元で行われた。

その直前、熊本、鹿児島、岡山にあるハンセン病療養所を訪問し、
帰りに広島へも立ち寄ったところだったので、少し興味があり、
母親と一緒に行ってみることにした。

悲しいことに、物事を忘れる才能がピカイチなため、
講演の内容は正直ほとんど覚えていない。
ただ、日本語があまりに堪能で驚いた記憶と共に、
リーパー氏が発信していたメッセージの一つが、
私にはなぜか強く印象に残った。

日本人は唯一原爆を落とされた被害者です。
原爆がどれだけ恐ろしく、苦しいかを体験しているのは、
皆さん日本人です。
核廃絶を訴えるためには、日本人が動かなくてはいけません。
でも、日本人はあまり声をあげません。
平和を望んでいる人ほど、静かで沈黙を好む傾向があると感じます。


一字一句ハッキリとは覚えていないので、
2年も経つ間に、私の主観が入っているかもしれないけれど、
今私の記憶にあるのは、こんな感じの話だったということ。

私のつたない文章では、当時自分がグッと何かを感じた
リーパー氏の言葉の重みや、その場の空気が伝えきれないけれど、
一言補足すると、リーパーさんがこのメッセージを発信した後、
言葉のニュアンスや伝え方が絶妙で、会場が笑いに包まれた。

とはいえ、アメリカでよく言うsarcasm(皮肉)だと思った。
でも決してその場にいる人を嫌な気分にさせることなく、
その後しばらく考えさせられる、深みのあるメッセージだと、
当時の私は感じ取った。

リーパー氏は同時に、自分が平和主義者だと言った。

ふと「世界平和」という言葉が頭をよぎった。
いろんな場面でよく耳にするこの言葉。

世界平和はいいに決まってる。
でも世界から戦争がなくなるなんてありえない。
世界平和なんて無理でしょ。

当時の自分はそう思っていた。

でも、こんなふうに否定する人が沢山いることを承知の上で、
自身の理想を公に宣言し、人生をかけて行動し、
一歩一歩前進しようとしている人が目の前にいた。
そしてその人は、原爆を落とした国の出身者で、
被害を受けた日本の国民に訴えかけている。

これが、当時の自分が素直に受けた印象だった。
リーパー氏がアメリカ人であるということが、
当時の私に強いインパクトを与えた
要因の一つであることは確かだと思う。
そしてなんだかわからない、虚しい気分になった。
なぜかはよくわからなかった。

この時虚しかったのは、
自分が世の中のこと、社会のことについて考え、
具体的な行動に移していなかったことに対して。
そしてそれ以上に、
何かを信じたいけれど信じられないという、
自分自身に対する情けなさ。
今振り返るとそう思う。

最初から信じなければ行動もしない。
行動しなければ、何も変わらない。


この頃、私は就職するかベトナムキャンプに進むか、
どちらを選択するか迷っていた。
でもリーパー氏の言葉を聞いて、
心の中でベトナムキャンプを選んだ。
その先に今の自分がいる。
別にベトナムキャンプと世界平和が、
自分の中で合致したわけではない。
むしろ、キャンプ関連でそんなことを考えたことはなかった。
なぜかって上手く説明できないけれど、
ただリーパー氏の言葉に、自分の心が何かの影響を受け、
動かされ、感じさせられた。
その自分の直感についていってみようと思った。

人って不思議。
うまく説明できないことだらけで、
人生ふらふらと進んで行く。
いつ、どこで、誰に、どうやって影響を受けるかわからない。

なぜか、この時のことをふと思い出したので、
書き記しておくことにした。