まりぽの楽描帳

『意識×出会い×行動』で人はいくらでも変わり、成長できる。『幸せの形』は人それぞれ。日々の海外生活(今はベトナム・ハノイ)を好き気ままにアップ。

海外の人から見た日本(人)ってどんな

「海外」の人や文化、習慣、生活環境をどう感じるか。
これまでは、ひたすら自分自身が体感することに興味が集中した。
でも「外国人」が日本人をどう思っているのか、
どう見ているのか、日本についてどう感じているのかは、
そこまで深く考えたことがなかった。

高校時代、アメリカで仲良くしていた友だちは、
いつか必ず日本に行くと言ったまま、
今のところまだ実現せず。
既に7年が過ぎてしまった。
かなり日本に興味を持っているので、きっといつかは来る。
そう信じているけれど、いつになるかはわからない。
ビザに関してはスムーズにいくのだけれど、
時間と金銭的な問題だと言う。

それに比べ、中国やベトナムの友だちは地理的に近く、
同じアジアだけれど、ビザや金銭的な問題で来ることが難しい。
来たいと言っている人は多いのに。
来て欲しい人も沢山いるのに。
自分にとって便利で住みやすい日本でも、
外国の人にとっては住み辛かったり、そもそも来にくい。

以前、用事があり北京へ行った際に、
北京大学で働くスタッフの方にふと尋ねられた。
「日本は中国に対してどういうイメージを持っているの?」
どうしてか、即答できない自分がいた。
すると立て続けに聞かれた。
「日本はいつになったら中国に関心を持ってくれるのかな。
もっと同じアジアの国として、中国に関心を持って欲しい。」
最近、中国の友だちにも冗談半分(?)で
同じようなことを言われ、ふと思い出した。

日本人は他国に対して、特にアジア諸国に対して、
無関心だと思われているのかな?
実際、無関心なのかな?
人や職によりけりだろうけれど、
確かに閉鎖的だと言う人は多いし、
自分も居心地の悪さを感じることは、しばしある。

ベトナムに来てからよく言われたことがある。
「日本人は英語が話せない。日本人の英語の発音はひどい。」

でもある人は、こんなふうに言っていた。
「英語を話せない人が多いのは、必要がないから。
英語を使わずに、母国語だけでやっていける日本は、
凄く恵まれているんだよ。」

ははぁ(゚o゚)ひらめき
そういう捉え方もあるのだと思った。
(少なくとも、これまでは。)

日本にいた時は、海外の人と接したことがないに等しかったので、
実際日本に来た人がどうこの国の人や文化を見て、
感じているのかがわからない。
ただ、中国やベトナムで出会った友だちが、
メディアや教育、自分たちの私生活を通じた
「日本」や「日本人」のイメージしか持てないこと、
それは特にベトナムの人の言葉を通じてヒシヒシと伝わってくる。
どこでも耳にする、典型的な日本人像。

「真面目で勤勉」
「日本の女性(奥さん)はおしとやか」
「日本製の物は素晴らしい」

バイク大国のベトナムでは、
日本といえばホンダ、ヤマハ…。
日本人といえば、おしん
日本の文化といえば、マンガを切り口とした
ドラえもん」「ちびまる子ちゃん」「コナン」など。

少なくとも、私が出会ったこれまでの学生の友だちは、
誰もがほぼ確実にこれらを口に出す。
(日本語専攻の学生さんはもっと詳しいですが)

ベトナムでは、家政婦さんを「おしん」と呼ぶことも普通なのだとかexclamation

いつか近い将来、友だちに日本へ来て欲しい飛行機
最近よくそう思うようになった。
実際に日本を体感して、見たり感じたことを話して欲しい。
色々と感じるがままの感想を聞きたい。
自分にとっての当たり前が当たり前じゃない人の、
そんな人の声が聞きたい。
イメージではなく、実体験が聞きたい。

ハンセン病にしても、障害にしても、孤児にしても、
どんなに国際協力機関やボランティアの人が
「人権」や「社会福祉」などを訴えたところで、
当事者以上の言葉の重みを持つ語り手などいないのと同様に、
結局は体験・体感が物をいうのかなぁと、個人的には思う。
人間の「感覚」って凄いと思うから。
だって、自分自身が処理できずに、言葉や字に表現できなかったとしても、
何となくモヤモヤっとした「気持ち」だったり、
心がザワザワする「違和感」だったりを通じて、
自分すらもが気付いていない考えや思い、感情を促してくれるから。

将来、何人の友だちと日本で会えるかな。
会いたいな。