まりぽの楽描帳

『意識×出会い×行動』で人はいくらでも変わり、成長できる。『幸せの形』は人それぞれ。日々の海外生活(今はベトナム・ハノイ)を好き気ままにアップ。

学生キャンセル

お天気:

ミニキャンプに参加したいと言ってくれた学生に会った。
詳細を話し、一緒にキャンプをやれると思っていたのに、カフェで挨拶をして早々、参加できなくなったという。
キャンプ期間に試験がある+両親が賛成しない。

この時期、よく学生は「試験の日程がまだわからない」「試験後の新学期の予定が1月までわからない」という。
ベトナムの大学は、試験日を告げるのが遅く、新学期の予定も直前まで決まらないのだろうか。
大きなイベントでも突然日程を変更するくらいだから、いつもぎりぎりなのかな。

ノープラン、ノー思考の適当な私が言うのも自分で笑ってしまうけれど、何もかもがぎりぎり。そしてドタキャン多し。まぁ自分もか。

学部事務所や先生に聞いてもわからないものなのだろうか…。

計画が立たない。

ワークキャンプはまだまだ浸透していないし、仕方ないけど、なんか凹むわぁ

FUJI奨学金授与の旅③

午前中:ヴォーティサウ高校にて授与式に参加

ヴォーティサウ高校と、グェンディンチュウ中学校の合同授与式が行われた。
今回の旅で、初めて高校生以下の学生と接する機会。

授与式の会場に向かう途中、通りがてら授業中の教室をちらっとぞき込むと、学生がこちらに気付き、揃って外国人の私たちを興味深そうに眺める。
スター気分で手を振り、授業を妨害。

予定より30分程早く到着してしまったにも関わらず、学校関係者の方々は全員揃い、私たちを暖かく出迎えてくれた。
先生方と女子高校生は素敵なアオザイに、中学生は可愛いユニフォームに身を包んでいた。

1人の中学生が奨学生を代表し、FUJI教育基金へ感謝の言葉を述べてくれた。
メモを読み返し、こんな話しをしてくれたことを思い出した。

一生懸命勉強することで、家族を助けることができ、それが脱貧困に繋がる。
奨学金をもらえたことは、努力が実った1つの証。

何となく印象に残る言葉だった。

「自分が◯◯をしたい。」
「自分が〇〇の仕事に就きたい。」
「親が子どもを養ってくれる。」

当然のように「自分」ばかりを主張してきた私など、思ったこともない奨学生の言葉。

中学生にしては随分大人っぽいスピーチだったように感じた。
テレビでもなく、新聞でもなく、目の前にいる学生が言っている言葉だから、心に残った。

でもこのような発言は彼女に限らず、他の奨学生もしている。
共通しているのは「家族」というキーワード。

「お金持ち=幸せとは限らない」
よく聞く言葉だけれど、本当にそうだろうなと思った。

ふと、自分自身の家庭における役割、存在価値、存在意義を自問した。
これまで、私は家族のためになにをした?
してもらったことなら、数えきれないほどあるのに。
したことは思い付かない。


授与式の終盤には、学生が歌を披露してくれた。

あ、やっぱり…笑

ベトナムの人は特に歌が好き。」
初めて渡越した時以来、その印象が私の中で非常に強い。

ハンセン病の療養所へ行き、そこで暮らす子どもと交流をすると、親や先生方の多くが私たちへのお礼にと、歌を歌うよう子どもたちに進める(強制的にも見える)。
ベトナム人の友達の多くも、本当に気持ちよさそうに歌う。
いつでも、どこでも。

流石にこれまでの大学で歌の披露はなかったけれど、今回は中高生が揃って歌ってくれた。


全てのプログラムを終え、質疑応答の時間が設けられた。

FUJI教育基金のどなたかが、入学以来毎年奨学金を受け取っている学生がいるかどうかを尋ねたところ、2人(私の席からは2人見えたけれど、もしかすると陰に隠れて他にも数名いたかもわからない)の学生が挙手した。
このうち1人は高校2年生でもう1人は3年生。
それぞれ2年、3年連続奨学金を受け取っているという。

正直、その少なさに驚いた。

旅中気になっていて、そのままにしてしまった疑問があった。
FUJI教育基金では、奨学生の選出は各学校に任せているということを、授与式を通じて理解した。
そして今回ヴォーティサウ高校を訪問し、奨学生の多くが毎年変わるという印象を受けた。

最初、奨学生の多くは家庭の事情により、奨学金なくして学校に通うことが困難であると理解していたので、毎年奨学生が変わるという状況の中、学生個々人に対する継続的なフォローアップはどのようになされているのか気になった。

去年奨学金を受け取り学校へ通えたけれど、今年は選ばれず、結果的に退学或いは進学しないという学生はいないのだろうか。
もしいるならば、どれくらいいるのだろうか。

同じ学生を必要に応じて入学から卒業まで面倒を見るという方法をとる学校もあるのだろうか。
でもそうすると、他の学生にチャンスがまわらず、フェアではないのだろうか。

などなど…。


その後、ヴォーティサウ高校の先生方と近くのレストランにて昼食。
授与式で司会を務めた英語教師のロアンさんと隣りの席になった。
とても若く私とあまり変わらないと思ったので失礼を承知で聞いてみたところ、20代後半で既に3歳の子供がいるという。
ビックリ。

ロアンさんに、なぜ教師になったのか尋ねてみたところ、
「親の希望・勧め」だと言う。

ベトナムにおいて、教師は女性にとって最高の仕事だと考えられていると教えてくれた。
ロアンさんいわく、彼女の時代はまだ親の言うことが絶対だったという。

次いでなぜ英語の教師になったのかを尋ねてみたところ、これまた、「父親の希望・勧め」というので驚いた。
よくグレなかったなぁ…。

他にも、ベトナムでは育児休暇が4ヶ月あること(収入あり)や、親が信頼し安心して子供を預けられる保育所を見つけることが困難な現状を教えてくれた。

因みに女性の先生方がアオザイを着ているのは、学校の決まりだという。
アオザイが制服。
日本で教師が着物を着る感じだろうか。
大変だ。太ったらもっと大変。
私が小中学生の頃、日本の先生はジャージを着ていた。


午後:ビンチャウ中学校とビンチャウ幼稚園を訪問

中学校はわずかな滞在で、学生と交流する時間が殆どなかったが、バレーボールやサッカーをして遊ぶ学生に混ぜてもらい、少し身体を動かした。
スポーツは言葉がいらないから打ち解けやすい。

中学生の多くは、年齢よりも若く、そして小さく見えた。
中には小学校低学年かと思うような子もいた。
それでも印象的なのは、やっぱりエネルギーと笑顔。

FUJI教育基金の皆様が初めてこの中学校を訪れた時とはだいぶ変わっているのかもれない。その変化を一緒に味わうことができず残念に思いつつ、私にとっては今回のこの明るい印象が非常に強い。

ビンチャウ幼稚園は、本日休日のため、子どもたちはいなかった。
各部屋にはおもちゃの他、壁や天井一面に様々な飾り付けがなされていた。
先生方がアイディアを出し合いながら、時に自費で材料を調達し、手作りで作った飾りがたくさん。
本当に、子どもにとっては夢のような部屋。


夜はビンチャウ幼稚園の先生方と会食。
今晩もお鍋。
でも毎回違うお鍋。こんなに種類が豊富とは。

カレーパーティー

団体を立ち上げてから真面目なミーティングが続いて、いまいち和んだ雰囲気がなくなってる気がする最近。ということで、皆で食卓を囲むことに♪

オランダ救らい協会の代表に許可をいただき、私が借りてる部屋でカレーパーティー。クアーカム療養所へ行ったメンバーをはじめ、これまで関わった友だちに皆で声掛け。

今年の1月、ミンチュウを中心にハノイ大学でカレーを売ってファンドレイジングした。今後もまたカレーを作って売ろうというので、今日は試食も兼ねてカレーに決定。

やっぱり「食」となると人の集まりはいいw

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アーカム療養所に一緒に行ったクオックアインの彼女が作ってくれたケーキ :)

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2011年~のキャンパー集合~。

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食卓囲めば皆笑顔 ^^

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カレー完食。お次はケーキ♪

クアーカム療養所訪問

バクニン省にあるクアーカム療養所へ行って来た。

ハノイから車で約40km。
出発予定時刻の朝6時半。ハノイは大雨に見舞われた。バイクで行く予定のところ、急遽車を手配した。
Vietnam Work Camp(新しい団体)の代表になったルーが、知り合いの会社に電話を入れた。

結局遅れること約1時間、療養所へ出発した。

新しい団体としては初めての活動。参加者は12人。雨の中、急遽移動手段が変更になり、余分なエネルギーを使い、皆少しテンションが下がり気味でのスタート。そして車に慣れていない子は車酔い。ブルードリームズのティンも休日なので参加してくれた。

<クアーカムの基本情報>
回復者の人数:105人(大半が1人暮らし、10人強が家族と暮らす)
子供:22人(赤ちゃん:3人、幼稚園~小学生:13人、中学生:2人、高校生:4人)
収入:1人540,000ドン/月(約2100円)、その他個々でニワトリを飼っている
食事:基本的に自炊(料理ができない人はスタッフがケアしてくれる)
宗教:多くがカトリック(シスターがいて、療養所内の教会でミサも行われている)

<今回の訪問目的>
1. 村人と知り合うこと(新しい参加者に村人・療養所を知ってもらうこと)
2. ワークニーズの調査

<当日の流れ>
10時:到着、シスターと挨拶&会話
11時:エンターテイメント(カラオケやおみやげのプレゼントはベトナム恒例)
12時半:昼食、休憩
14時:ホームビジット(村人と交流)
16時半:ミーティング
17時:出発

今回の訪問は、ルーからスアンシスターに連絡をとってもらうことで実現した。
新しい団体として、クアーカム療養所を最初の訪問先に選んだ理由は単純で、スアンシスターが優しく、名の知られていない自分たちの団体を受け入れてくれたから。

療養所によっては、院長なり地元警察に却下されることもあり、その場合は訪問すらできない。 

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アーカム療養所

<エンターテイメント>
エンタメが得意なフォングという2月のキャンパーが仕切ってくれた。
村人に歌ってもらったり、自分たちが歌ったり、子どもたちとゲームをしたり。

一番盛り上がったのは、フォングが友だちと一緒に披露した劇。
ベトナムでは誰もが知るという昔からある喜劇らしい。

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見にくいけど、喜劇披露中。

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喜劇鑑賞中。

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エンタメを観賞している村人と学生のクオックアイン。

 

クオックアインは今回初めて療養所を訪問。
建築を専攻していて、ルーの後輩。
物静かであまり話をしないけれど、昼休みに1人で村人の家に行って、一緒にチェスをして遊んでいる姿が印象的だった。

後でクオックアインがメールをくれた。
「最近亡くなった自分のおじいちゃんのことを思い出した。昼休み中、86歳になるおばあちゃんとチェスをした。でも完敗。すげーと思った。」

<生活環境>
生活環境は、全体的に整っているように見えた。村人は、いくつかの部屋に仕切られている長屋に住んでいる。どこの療養所も似た感じの作り、雰囲気がある。
キッチンは部屋とは別に設けられ、一部屋根に穴があいていて不備のある建物もあるという。シャワーは真冬でもお湯を沸かして外で入っているという。

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比較的元気な村人が使っている、古いトイレ。
他のトイレはもう新しくなっているらしい。

 

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天井が剥がれかけて、雨漏りがするらしい。

それは大変!と思ったら、一緒にいたミンチュウがボソッと「私の家も雨漏りするよ」と一言。

<村人>

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部屋の中で、しかもベッドのすぐ隣でミツバチを飼っているフォンおじいちゃん。
怖い…。

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家族とは良好な関係で、頻繁に会っているというフォンおじいちゃん。
でも一緒に住むと周りの目が気になるから、自分がそうしたくないという。
写真はフォンおじいちゃんとミンチュウ。

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初めて療養所を訪問するクップ(左)、トゥアイン(中央)と村人

 

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男の子とお父さん。

Vietnam Work Campの活動目的は、物資の支援をすることではない。
でも今回は初めての訪問で、1日だけの滞在。
村人が喜ぶからと、皆で意見をだしあって、お土産を持って行くことにした。
インスタントヌードルとおかゆ、それにチェスを持って行った。

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一緒に行ったメンバー。
継続的に活動を一緒にしていきたいな。

<感想>
雨の日に療養所へ来ることを懸念していたティンが、帰りの車の中で話してくれた。
「前回雨天で訪問した療養所と今回とでは、院長・スタッフの反応が全く違った。あれは天気の関係ではなく、療養所のスタッフの違いだったんだとわかった。」

ティンはブルードリームズで働いているから、仕事でよく村人と話す機会がある。
でも今回、初めて触れた村人の一面があったことを話してくれた。それは「村人同士の仲があまりよくない」ということ。ティンとしては、同じ村人同士仲よく助け合って欲しいと思っていただけに、ショックのようだった。家族がいて多少余裕がある村人と、1人暮らしでカツカツの村人同士が口論する場に、ティンは居合わせたらしい。

中国で参加したキャンプでも、こういった話は聞いたことがあった。
ベトナムでも、キャンプをしているとそんな話も聞くけれど、村人を見ていると伝わってくる村人同士の微妙な距離感・人間関係がある。

ティンの反応は良く理解できた気がした。自分が初めて中国の村に行ったときに感じた、自分の中の「村人は仲良しでいてほしい」という勝手な理想と、「村人には村人同士の複雑な人間関係がある」という現実のギャップ。モヤモヤとした気持ちを少し思い出した。

自分たちだって、ご近所付き合いや友だち付き合いで問題を抱えたりする。
同じ人間なんだから、村人にも事情があるのは当然のことなのに、自分(たち)は村人に勝手な理想像を押し付けていることが多々あるのだと、改めて考えさせられた。

今回の訪問で、ルーとクオックアインがいくつかワークニーズを見つけた。
ワークをやるかどうか、やるならいつやるか、また今後話し合う。

お金

この1、2週間、まるで抜け殻のよう。

物事をはっきりさせること。
でも関係を気まずくしないこと。

人を信じること。
でも疑いもすること。

ケチと思われたくない。
でもちゃんとしないといけない。

価値があると思うことをしたい。
実は、騙されているだろうと知っていても。

ベトナムへ来てからのことを振り返る。
いろんなジレンマがある。

総合的には、いい経験をしたと思う。
でも勿論、いいことばかりじゃなかった。

この国へ来て、「お金」について考えさせられた。
この感覚、忘れちゃいけないと思う。

お金は生きていくのに必要。でも一番大切ではないと思う。でもそれも、文化や生きている時代によって、捉え方は違うのかな。

新しい団体

Vietnam Work Campという新しい団体を作った。
名前、そのまんまw

今年いっぱいは、ハンセン病の療養所で活動を続け、その後については、またおいおい話し合う。ハンセン病に特化しないことも含めて今考えている。ただ活動形態はワークキャンプを続ける。そのために必要な新しい団体を作った。

これまで一緒に活動してきたブルードリームズには、今後独立して活動を続けることを伝えた。キャンパーと活動内容、方向性、趣旨、代表の考え方など総合的に話し合い、自分たちは自分たちで自主的に活動をしたほうがいいという結論に至った。

団体という「形」よりも日々の活動内容が一番重要だと思うけど、箱を作ってみたことで変わったこともある。一番の大きな変化は、皆が積極的に動くようになったこと。今までこっちから連絡をとっていたのが、今度はこっちに連絡がくるようになった。

代表を務めてくれるのは、友だちのルー。初めてのキャンプから関わってくれている。

ワークキャンプはこれから。

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自分の生き方

夜になると、一人ボーッと考える。

何か新しいことを始める時、それなりのエネルギーを要する。もともと同じ想いや同じ方向を向く仲間同士で活動をはじめるのと、自分の想いを伝えて仲間探しからはじめて起こす活動。

深く考えたことなかったけど、全然違うんだなって、ベトナムへ来て初めて気付いた。

学生時代までやってきたことは、サッカーだったり、吹奏楽だったり、マーチングバンドだったり、既に存在する団体で、同じ想いを持った人たちとの関わりだった。その中で自分の想いを伝えたり、何かを共有することはなかった。この違いを認識して、ベトナムでは意識的にもっと伝えるべき想いを明確にして、計画を立てて行動するべきだったと、今振り返って思う。

それでも、もしベトナムワークキャンプを通じて学生と多少なりとも
「自分が変わり、あなたが変わり、社会が変わる。」

ことを共有できていれば、活動を初めてよかったと思える。


これは、中国の村人(ハンセン病回復者)に教えてもらった大切な人生の教訓の一つであり、ハンセン病から学んだことでもある。そしてワークキャンプを通じて実現したいことでもある。

一生に一度の人生だから、好きなことしたいし、楽しく生きたい。でも折角なら、まったく異なる背景・文化・習慣・考え方をもった人たちと、なにかしら必要としている人のためになる活動に一緒に関わって、共に歩んでいける人生がいいなと思う。

今はワークキャンプがその一手段だと思うけど、他にもいろんなやり方があるはず。どんな形であれ、国境を越えて深い関わりを持っていたい。

世界の人と「共存」していこう。