まりぽの楽描帳

『意識×出会い×行動』で人はいくらでも変わり、成長できる。『幸せの形』は人それぞれ。日々の海外生活(今はベトナム・ハノイ)を好き気ままにアップ。

学生の不安と疑問

学生4人と話をしていたら、一人の子(Aちゃん)が疑問を投げかけてくれた。

ハンセン病って正直ちょっと怖い。家族もよく思ってない。皆は怖くないの?」
「どうしてこの活動はボランティアなのに、身銭をきらないといけないの?」

まず第一に、私はハンセン病を怖いと思ったことはない。私達の健康状態ではまずうつる可能性がほぼないに等しいし、万が一の万が一でうつったとしても薬で治る。大学でそう習ったし、ネットでも調べたし、本でも読んだ。

99%うつらないとも言われている。
でもそんな時「でも1%はうつるじゃない」と感じる人もいるらしい。
Aちゃんは、まさにそんな一人だった。

心配をしないように丁寧に説明をしたつもりだけど、結局彼女は「大学の都合」という理由で、参加予定だったキャンプをキャンセルした。本当の理由はわからないけど、不安を解消してあげられなかったのだとしたら、申し訳なく思う。

また、ボランティアで身銭をきらないといけない理由も納得がいかない様子。

・活動をしていると、相手のためにするよりも、自分にかえってくるものが大きいと思うから、身銭をきることは構わないと思う。

・人のお金ではなく、身銭をきることで、初めて自立した責任のある活動ができる。

・そもそも、大した額じゃないし、ファンドレイジングで何とかできるから、あまり「なぜ身銭をきるのか」と考えたことがない。

他の学生さんたちがそれぞれの考えを伝えてくれた。

とはいえ、ベトナムベトナムでバイトの時給が安かったり生活も大変だったりするから、交通費は資金の中から出すなどして、ベトナムにあった活動をしていこうとは思ってる。

日本に帰る

日本に一度帰ることにした。

帰って、仕事をすることにした。

お世話になっているオランダ救らい協会のヤンに、その旨を伝えた。

2月から一室部屋を貸り、光熱費もただで事務所に寝泊まりさせてもらっている。

オランダ救らい協会のインターンという形で、南部の療養所やコミュニティの出張に同行もさせてもらった。

ヤンは私がワークキャンプだけでなく、NPOの活動にももっと主体的に関われる方法を考えてくれていた。それと同時に、閉鎖的なブルードリームズの環境も、風通しをよくしようと協力しようとしてくれていた。それだけに、言い出しづらかった。

話してみたら、ヤンは普通だった。いつものように言ってくれた。

「自分が、自分自身の一番の友達でいることが大切だよ。自分が感じるままに行動したらいい。」そう言ってくれた。

一度日本へ帰ってちゃんと仕事をする。家庭の問題もある。

また戻って来るなら、それは3年後だと思う。

真面目なキャンパー

2月のキャンプで知り合ったグインアイン。独自の考えをしっかりと持ち、独特のオーラをかもし出す女子大生。「楽しむこと」よりも常に「なぜ」といった意味・意義を追求する。キャンプ中も時折1人で真面目に考え込み、キャンパーの和から離れていた。他のキャンパーからすうると「関わりづらい」という印象も持たれていた気がするけれど、個人的にはその個性が好きだった。

グインアインに呼ばれて、公園でおやつを食べながら話をした。
ワークキャンプをもっと多くの学生に伝えたい」と彼女は言った。

キャンプが面白いから、またやりたいからということではなくて、ワークキャンプの考え方・取り組み方がベトナムの一般的なボランティアと違うから、そのワークキャンプの特徴を学生に知って欲しいという。

いくつかあげてくれた違いは、前にもどこかで書いた気がするけど、こんなかんじ。

1. 身銭をきること
ベトナムではボランティアは基本的に「労働と時間で奉仕」するものであり、身銭はきらないという考えが一般的。だから活動に携わるボランティアの費用も、支援してくれる企業・団体を探したり、ファンドレイジングをすることが多いという。

2. 人とのつながりを築くこと
ベトナムでは短期間で単発的な活動が多いという。キャンプのように、2週間特定の場所に滞在し、地元の人や学生同士で共同生活を送るのは新しい発想で珍しい。
更に、何度も同じ場所で活動を続け、地元の人との関係を築いていくことも特徴的。

3. 活動を振り返ること
活動後に、自分たちのとった行動が、関わる人にどのような変化をもたらしたのか、
問題を引き起こしたのか、
あるいは問題改善に役立てたのか、フォローアップするという概念がベトナム人にはないと、グィンアインは指摘する。でもキャンプでは、キャンプ前後も下見という名目で活動した場所へ必ず訪れている。

4. ワーク
物を買ってプレゼントするのが一般的で、ブルードリームズもそれが基本。そんな中で、学生たちが自分たちで汗をかいて働く。ベトナムの学生にとっては、とても新鮮らしい。

グインアインが関わる他のボランティア活動でもワークキャンプを紹介しようという話になった。

ベトナムビザ

昨日、大使館で無事3ヵ月のビジネスビザを取得。

ベトナム国内では去年から今年にかけて、3ヶ月ビザの更新を2度試み、失敗した。

日本のベトナム大使館では最短20分で取得が可能。驚きや驚きや。

去年の9月、ベトナムに滞在するために大使館へ行った時のことを思い出した。

ビザが発行されなかったら行けずに済む。なんて、心のどこかで思ってる自分がいた。そりゃそうだ。心から行きたいわけじゃなかったんだから。

でも今回は本心で「早くビザちょうだい」と思ってる自分がいた。

この半年間で、自分の心境に大きな変化が起こったことを実感した。

これで一生ベトナムとお付き合いができる。

そして、どの国に行っても大丈夫な気がする。

お金

「ボランティア」って何だろう。
非営利団体」って何だろう。
二つの違いって何?
今更ながら、ふと考える。

ワークキャンプをやっている人のなかには、
「ボランティア」という言葉を好まない人もいる。
私もなんとなく嫌だった。
なぜかと聞かれても、うまく説明できない。
でもここでは、あえてこの言葉を使いたい。
他の表現方法が思い浮かばないから。

「ボランティアは、人のために自分を犠牲にしてでも奉仕すること。」
昔はそんなふうに思っていた。
なぜかはわからない。単なる一方的で勝手なイメージ。
だから高校生の頃は「何で人のために時間や労力を遣って、
更にそのために身銭まできるのだろうか」と、
理解できない自分がいた。

いつ、どこで、なにがどう変化したのかわからないけれど、
ワークキャンプに出会ってからは、時間も労力もお金も、
自分で持ち寄るのが当たり前になった。
いつの間にか、活動にかかる資金(自分自身にかかる費用)は、
自分で払うのが当たり前だと、そう思うようになっていた。
キャンプに参加するのが趣味みたいなものだからかな。
自分が好きでやってるからかな。
自分のためにやっているという部分が大きいからかな。

学生時代に参加した中国キャンプでは、
中国人も日本人キャンパーも、
自分の費用は自分で賄うのが当然になっていた。
でもベトナムはそうではない。

学生はそもそもお金がない上に、
都会に出てきた学生はぎりぎりの生活を送っているため、
親からお金をもらうことなどできないという。
更にバイトの時給はあまりに割りに合わず、
大した収入にならないという。

そして、そもそもボランティアは、
「時間と労力で奉仕するものであり、
身銭をきるという概念はあまりない」と。
色々な人からそう説明を受けた。

初めてベトナムでキャンプを行った時、
ベトナム人キャンパーのキャンプ費は、
食費を含めブルードリームが支援したという。

ブルードリームが時々1日、2日のイベントに参加すると、
大抵お昼ごはんをただで食べることができる。
沢山人が来てやることがない時などは、
ただ座り友だち同士で話をし、ご飯を食べて帰る。
そんな人も見受けられる。
既に学校を卒業し、仕事をしている人も少なくない。
これは、皆が楽しむ1つの交流の場であるということで、
それはそれで良いという捉え方もできるかもしれない。
そもそも大した問題ではないのかな、と思ったりもする。
でも一方で、むしろたった一食だったら自分で払えばいいのに、
と心の中で思う自分がいるのも事実。
ケチくさいのかな。
でもこういうところから習慣を変えていければ…。
こういった費用は、結局誰かがどこかで立て替えてくれている。
各自で負担すれば、小さな額なのに。

このイベントに関しては小さな例だけれど、
キャンプをしようがしまいが、人は食事をする。
ボランティアに参加しようがしまいが、ご飯は食べる。
その食費を払わないという考え方には、少しギャップを感じた。
参加することで、自分だって何かしら得ているのだし。
(※ブルードリームの活動内容によっては、
ご飯代や宿泊代は自分たちで払っていることもあります。
人数が多いと負担しきれないので。)

自分の費用は自分で賄うというワークキャンプだと、
このお金の問題でキャンパー集めが難しい。
ましてやキャンプとなると、1日、2日のイベントとは額が違う。
そうよく指摘されることがある。
でもこれは譲れない点。
必要であれば、皆で協力してファンドレイジングをすればいい。

お金にまつわってもう1つ。
「もらえるところからは、がっぽりお金をもらっちゃえ。」
そんな考え方が、自分の身近に存在しているように感じる今日この頃。
人間の心理からすると、普通なのかな。
自分もそういうところ、あるかな。
この点においては、人によっても団体によっても
考え方がまちまちだと思うので、一概に
ベトナムが」という判断はできない。
ただ最近お金絡みのことで違和感を感じることがあるので、
とりあえずここに書き留めておきたい。

日本にいた頃はお金の話など殆どしなかったのに、
ベトナムへ来てからは普通になった。
「家賃いくら?」
「収入いくら?」
「それ高いわよ。」
「これ安くてお得。」
こんなお金の話は日常だから。

ケチケチするのもよくないと思うけれど、
お金の価値がわからなくなる人間にはなりたくない。
そもそも金銭的な苦労をしたこともないのに、
その「価値」が本当にわかっているのかと自問すると、
恥ずかしくなるけれど。
でも平均的に必要なお金で満足できる、
その感覚は忘れたくない。
なるべく、欲を持たない生き方をおくりたい。
宝くじを当てた人が、
その後まともな金銭感覚を失いおかしくなる。
なんて話を聞いたことがあるけれど、
そんな多額でなくても、人間の感覚など、
すぐにおかしくなるのじゃないかな、と思う。

会社の経費ならいいや。
大きな団体ならお金があるからいいや。
自分のお金じゃないし…。
そうは思いたくない。

ボランティアと活動収入。
非営利団体と活動収入。

この関連性について、まとまりもなく、
ぼーっと考えてみる。
頭がこんがらがるぞ。

海外の人から見た日本(人)ってどんな

「海外」の人や文化、習慣、生活環境をどう感じるか。
これまでは、ひたすら自分自身が体感することに興味が集中した。
でも「外国人」が日本人をどう思っているのか、
どう見ているのか、日本についてどう感じているのかは、
そこまで深く考えたことがなかった。

高校時代、アメリカで仲良くしていた友だちは、
いつか必ず日本に行くと言ったまま、
今のところまだ実現せず。
既に7年が過ぎてしまった。
かなり日本に興味を持っているので、きっといつかは来る。
そう信じているけれど、いつになるかはわからない。
ビザに関してはスムーズにいくのだけれど、
時間と金銭的な問題だと言う。

それに比べ、中国やベトナムの友だちは地理的に近く、
同じアジアだけれど、ビザや金銭的な問題で来ることが難しい。
来たいと言っている人は多いのに。
来て欲しい人も沢山いるのに。
自分にとって便利で住みやすい日本でも、
外国の人にとっては住み辛かったり、そもそも来にくい。

以前、用事があり北京へ行った際に、
北京大学で働くスタッフの方にふと尋ねられた。
「日本は中国に対してどういうイメージを持っているの?」
どうしてか、即答できない自分がいた。
すると立て続けに聞かれた。
「日本はいつになったら中国に関心を持ってくれるのかな。
もっと同じアジアの国として、中国に関心を持って欲しい。」
最近、中国の友だちにも冗談半分(?)で
同じようなことを言われ、ふと思い出した。

日本人は他国に対して、特にアジア諸国に対して、
無関心だと思われているのかな?
実際、無関心なのかな?
人や職によりけりだろうけれど、
確かに閉鎖的だと言う人は多いし、
自分も居心地の悪さを感じることは、しばしある。

ベトナムに来てからよく言われたことがある。
「日本人は英語が話せない。日本人の英語の発音はひどい。」

でもある人は、こんなふうに言っていた。
「英語を話せない人が多いのは、必要がないから。
英語を使わずに、母国語だけでやっていける日本は、
凄く恵まれているんだよ。」

ははぁ(゚o゚)ひらめき
そういう捉え方もあるのだと思った。
(少なくとも、これまでは。)

日本にいた時は、海外の人と接したことがないに等しかったので、
実際日本に来た人がどうこの国の人や文化を見て、
感じているのかがわからない。
ただ、中国やベトナムで出会った友だちが、
メディアや教育、自分たちの私生活を通じた
「日本」や「日本人」のイメージしか持てないこと、
それは特にベトナムの人の言葉を通じてヒシヒシと伝わってくる。
どこでも耳にする、典型的な日本人像。

「真面目で勤勉」
「日本の女性(奥さん)はおしとやか」
「日本製の物は素晴らしい」

バイク大国のベトナムでは、
日本といえばホンダ、ヤマハ…。
日本人といえば、おしん
日本の文化といえば、マンガを切り口とした
ドラえもん」「ちびまる子ちゃん」「コナン」など。

少なくとも、私が出会ったこれまでの学生の友だちは、
誰もがほぼ確実にこれらを口に出す。
(日本語専攻の学生さんはもっと詳しいですが)

ベトナムでは、家政婦さんを「おしん」と呼ぶことも普通なのだとかexclamation

いつか近い将来、友だちに日本へ来て欲しい飛行機
最近よくそう思うようになった。
実際に日本を体感して、見たり感じたことを話して欲しい。
色々と感じるがままの感想を聞きたい。
自分にとっての当たり前が当たり前じゃない人の、
そんな人の声が聞きたい。
イメージではなく、実体験が聞きたい。

ハンセン病にしても、障害にしても、孤児にしても、
どんなに国際協力機関やボランティアの人が
「人権」や「社会福祉」などを訴えたところで、
当事者以上の言葉の重みを持つ語り手などいないのと同様に、
結局は体験・体感が物をいうのかなぁと、個人的には思う。
人間の「感覚」って凄いと思うから。
だって、自分自身が処理できずに、言葉や字に表現できなかったとしても、
何となくモヤモヤっとした「気持ち」だったり、
心がザワザワする「違和感」だったりを通じて、
自分すらもが気付いていない考えや思い、感情を促してくれるから。

将来、何人の友だちと日本で会えるかな。
会いたいな。

LHD申請

Leprosy and Human Dignityのプログラム
今日、ブルードリームが無事期日内に申請。
結局プロジェクトの内容は、
笹川記念保健協力財団さんに支援していただき、
去年からスタートした障がい者(主にハンセン病回復者の方々)
向けの雑誌発行の継続と、そのウェブサイト。
ウェブサイトは、多くの不特定多数の人へ
情報を発信するためのツールで、
タインさんがやりたいと言い出した新しい試み。
もし申請が受理されたら楽しみ。
ベトナムに特化したハンセン病関連のサイトは、
自分の知る限りはないと思う。
オランダ救らい協会のベトナム支部のウェブサイトすらも、まだない。
療養所を管轄するNHDVをはじめ、
NGO団体、ボランティア団体、学生などが
このウェブサイトを通じて繋がったら、
何かしらの効果が期待できるかもしれない。

そして、以前あった他のアイディアについては、今回は申請せず。
明日ミンチュウと会って、
彼女のアイディアについてどうするか、話をすることに。
辞めるか、あるいは自分たちでファンドレイジングをするか。
この間はレモンティーを飲みながら、
「これ、道端で売ろうか。」などと話をしていた。
レモンティー…一体何杯売ったら、
プロジェクトのお金が集まるのかな(笑)

ミンチュウは初めて会った時から、
中国キャンプにも興味を示している。
他の国のワークキャンプがどんなものかを知りたい。
体験したいと言っている。
ベトナムと中国のハンセン病事情はだいぶ違うと思うので、
実際に行って見てみるというのは、いい刺激になる気がする。