まりぽの楽描帳

『意識×出会い×行動』で人はいくらでも変わり、成長できる。『幸せの形』は人それぞれ。日々の海外生活(今はベトナム・ハノイ)を好き気ままにアップ。

ソンラー省・ソンラー市で出会った新しい人生観

☁時々☀

3月10日から13日まで、ベトナム北西部に位置する
ソンラー省・ソンラー市(ラオスとの国境沿い)へ行って来た。
実家に帰省する友だちのフェンに同行させてもらった。
(フェンはワークキャンプのプロジェクトチームの1人。
ハノイ大学で行った写真展を通じて知り合った。)

ソンラー省には、ソンマーというハンセン病の療養所がある。
国境に近いのと、少数民族が多く暮らしているため、
外国人の出入りには厳しいらしく、
これまで行く機会に恵まれなかった。
今回も希望は叶わず。

そしてソンラー省といえば、もう1つ。
以前、FUJI教育基金の方からお話を伺った、
イチゴ栽培のプロジェクトが行われている。
モックチャウという街に日本人が滞在し、
地元の人とイチゴの栽培に取り組んでいるという。
詳しくは、日本人を対象にベトナムで配布されている
ベトナムスケッチ』という日本語月刊誌の2月号で
取り上げられていたので、こちらをご覧下さい。

結論からいうと、今回はモックチャウも、
残念ながら行けずじまい。
フェンと3日間、ソンラー市に滞在した。
でもその分、この街にはすごく親近感がわいた。
これまでにない「人との繋がりの価値」を
体感した気がしたから。
自分の、これまでの考え方・価値観が揺らいだ。

フェンの親戚は、3、4家族が近所に集まって暮らしている。
おじいさんが所有していた土地を子どもたちに配分したので、
今そこに子供・孫世代がまとまって暮らしている。

ソンラー市は小さいという。
面積・人口はわからない。
でも道行く人の数は、ハノイと比較するとチラホラ。
平日・週末限らず人影は少なく、でも道は広い。
ここでは、タイ族やミャオ族(少数民族)、
キン族(主要民族)が一緒に生活をしている。
民族を越えた結婚も地元では普通だという。

モックチャウは観光地で有名だけれど、
外国人がソンラー市を訪れることは、それほどないという。
3日間街を出歩き、白人と遭遇したのは1度きり。
日本の有名なガイドブックでも、ソンラー市はスルーされていた。
当然、ここで生活する外国人も殆どいないという。
(地元の人いわく、JICAが活動しているらしい。)

丘の上から見渡すソンラー市は、
山々に囲まれ、とてものどかで静かな街。

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近くの丘から撮影したソンラー市

交差点で乗客を待つバイタクのおじさん。
道端で散髪をするおじいさん。
商店街で店番をするおばさん。
市場で果物を売るおねえさん。

街で見知らぬ人に恐る恐る微笑んでみると、
自然と優しい笑顔が返ってきた。
心が暖まった。
微笑んでも、ギロリと光らせた目が返ってくるハノイとは違う。
(もちろん人によりますが)
そもそも道行く人に笑顔なんて見せない東京とはもっと違う。
これまで生きてきたどの街とも、どの国とも、
全く違う環境がここソンラー市にあった。

「田舎はそういうものよ」
と一言で片付けられてしまうかもしれないけれど、
そんな一田舎に凄く魅了されている自分がいた。

中でも、フェン一家の溢れんばかりの
ホスピタリティーと、街中に広がる知り合いの多さには、
ただただ驚くばかりだった。
誰が家族で誰が友だちか、
あまりに接し方が「自然(同じ)」で判断がつかない。

英語が一言も話せないフェンの家族と、
2歳児以下の、ひっちゃかめっちゃかな
ベトナム語を話す私。

それにも関わらず、フェンのお母さんや叔母さんは、
タイ族の家を私に見せようと、バイクを走らせてくれた。
知り合いの友達の家に連れて行ってくれた。
マーケットへ一緒に買い物に行ってくれた。
毎日美味しいご飯をご馳走し、
その中で気に入った手料理のレシピを教えてくれた。
更に、タイ族やミャオ族の人が刺繍したという、
きれいな袋やお財布、携帯入れ、帽子まで
お土産にプレゼントしてくれた。

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タイ族が暮らす家

ベトナム人のホスピタリティーは以前から尊敬していたけれど、
ソンラー市ではこれまでにない「親近感」が湧いた。
フェンの家族が特別だったのかもしれない。

知らない近所のおじさんやフェンの高校の先生、
幼馴染などが毎日頻繁に出入りする。
フェン宅に我が家のようにあがり、あぐらをかいて座り、
テーブルに置いてあるお団子を食べ、雑談をして帰る。

ある時は叔母さんに連れられ、
隣の家の庭に植えてある菜っ葉をもぎ取った。
「ここが叔母さんの家?」
と尋ねると、違うと言う。
友だちの庭を借りて、野菜を育てているのだと言う。

田舎ではごく当たり前のことかもしれない。
場所によっては、都会でも普通のことかもしれない。
でも、そんな環境でこれまで暮らしたことのない
私にとっては、新鮮で驚くことばかりだった。
これまでの人生を振り返り、
ご近所の庭で野菜を育てるなど、想像できなかった。
そんなこと、考えたこともない。

長年地元で共に暮らし、
互いに築いてきた信頼関係。
その和が、街中に広がっている。
言葉の通じない私に、
小さな街の深く、広く、暖かな人間関係が伝わってきた。

幼稚園から転校が多かったからか、
私は必要以上に「家族」と「友達」を
別々に枠組みして考えていた気がする。
もちろん、意識していたわけではない。
これまで1ヶ所に滞在したのは、
長くて6年間。
小中高と度々転校していたので、
常に一緒にいるのは家族だった。
友達は仲良くなっても、
どうせまた離れ離れになる。
その後会う機会が減れば、
自然と関係も変わる。
育つ環境が変われば、
お互いに距離ができる。
離れている間にできた隙間が、
久々の再開ですぐに縮まることはある。
でも、昔の関係には戻れなくなることもある。
凄く親しみをもっていた人が、
遠い存在に感じることも少なくなかった。
自分がどんどん変わっていくのを感じた。
当然の結果かもしれない。

そんなこんなで人間関係に自然と冷め、
私は家族以外の繋がりが疎かになっていった。
ただの言い訳だろうけれど、今振り返り
自己分析をすると、こんな感じ。

でもフェン一家は、そんな私が考えていた
「家族」という枠組みを取っ払い、
更には「親戚」をも取っ払い、
近所の人をも含めた深く広い繋がりがどんなものかを、
日々の生活を通じて自然に見せてくれた。

こういう生活もあるのだと、
こういう人生も素敵だなぁと、
心から思える「人の生き方」が、ソンラー市にはあった。

この4日間で感じたことを、
いまいち上手く文章で表現できている気がしない。
それが虚しい。
それでも書きたいと思った。

ベトナムの療養所でキャンプを行った際、
ベトナム人・中国人キャンパーが揃って言っていた。
村(療養所)の人が初対面にも関わらず、
部外者の自分たちに優しく接してくれた、と。
そんな村人に感謝・感動していた。
でも私は何故か、療養所・村でそう感じたことは
不思議と一度もなかった。
それが何故かソンラー市では心に残った。


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マーケットで野菜を売る人たち。
カラフルな服装をしているのはタイ族の人。
結婚した女性のみが、髪の毛を頭の上でお団子のように結ぶのだとか。

こんな素敵な深い人間関係が、
都会で生活する人の間でももっと増えたらいいな。

ソンラー市に、必ずまた行きたい。
貴重な貴重な体感をさせてくれた場所。
これから先、長い間きっと忘れないと思う。

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フエン一家と私

3月11日

大震災から早1年が経過。
東北地方の方々にとっては、長い1年だったかもしれない。
震災以降、気仙沼市唐桑町で街づくりに携わり続ける
知り合いの加藤拓馬君のブログを読むと、
地元の方々が力強くも、今も大変な想いや苦労をして
日々の生活を送っていることが伝わってくる。

一方で、ベトナムの人からよく聞こえてくるのは、
「日本人の忍耐力・我慢強さ」
「経済復興の早さ」
に対する褒め言葉の数々。
更に、
「日本にとってはほんの微々たる額かもしれないけれど、
寄付させてもらった。何もしないよりもはいいかと思って。」
という声も聞いた。
一日本人として、感謝の気持ちが込み上げた。

11日、私はフェン一家とニュースを見ていた。
ここでもやはり、日本の経済回復の早さを褒められた。
原発に対する指摘や、政府の対応に対する批判は、
これまでベトナム人から聞いたことは一度もない。
メディアの影響か、あるいは遠慮して
言わないだけなのかは、定かではない。
両方かもしれない。
ただ、普段の生活を通じて感じるのは、
ベトナム人の日本・日本人に対する印象が
全般的にとてもいいこと。
震災の一件で、既に美化されたイメージが
更に美化されているような気さえした。
フェン一家によると、ベトナム人
日本人に対するイメージは「おしん」だと言う。

ところで、この翌日、
フェン一家の犬がこの世を去った。
食事もやっとという感じの、年老いた犬だった。
死んでしまったことに対する家族の反応は、
思っていたよりも普通だった。

「死んでしまった。」
淡々とその事実を受け止めている家族の姿を見て、
ある1年前の記憶が蘇った。
震災直後、奇跡的にレスキューされた
年配のご夫婦と犬が一匹いた。
テレビは、そのご夫婦・犬と
娘さんらしき若い女性の再会を報道した。
この女性は、向かってくるご両親ではなく、
飼い犬に抱きついて号泣した。
ペットを飼ったことがなく、
動物に親近感のない私は、
この光景にショックを受けた。
一緒にテレビを見ていた両親も驚いていた。
でもその後、母が知り合いの年配の方と話しをしたところ、
その方は報道された若い女性の気持ちが、
何となくわかる気がする。そう言ったそうだ。
母のお友達も犬を飼っている。

動物・ペットに対する価値観を、一概に
ベトナム人と日本人の2つに別けて考えることは
できないけれど、一般的にベトナムで見かける
動物への接し方は、それほど優しいものではないと思う。
動物はあくまで動物で、人間の二の次。
ベトナムでは、吠える犬に小枝を投げつける人、
蹴飛ばすフリをする人、石を投げる人がいる。
ハノイ市内ではガリガリに痩せ、
汚い色に染まった犬や猫もよく見かける。
彼らの目はうつろに見える。
(もちろん可愛がられ愛されているペットもいる)

ただ、テレビで見た日本の犬と、
フェン一家の犬の扱いが対照的で、
なんとなく印象的だった。

もう一つ感じたこと。
フェンの家は4階建てで、とても広かった。
とにかく広かった。
でもその割に荷物は少なく、
部屋の中はスッキリしていた。

震災後に用事があり、石巻気仙沼へ3度行った。
無残な街の光景を目の前に、
とにかく「物が多い」と感じた。
数多くの家が流されてしまったので当然かもしれないけれど、
もしベトナムが同じ状況に遭遇したら、
ここまで荷物は溢れかえっていなかったのかな。

スッキリしたフェン宅を見て、
物は人を幸せにできないことを再確認した。
一方で「買い物が楽しみ・ストレス解消」という、
日本や中国の友だちが私に言った言葉が、
個人的には虚しすぎて忘れられない。

震災で家族や親戚、大切な人を失ってしまった人は、
それまでのその人との人間関係を振り返り、
後悔していないだろうか。

色々な記憶を思い起こした11日だった。

ベトナムにいる自分は、
ベトナムでできること、
ベトナムの人とできることを、
できる範囲でやりたい。