まりぽの楽描帳

『意識×出会い×行動』で人はいくらでも変わり、成長できる。『幸せの形』は人それぞれ。日々の海外生活(今はベトナム・ハノイ)を好き気ままにアップ。

お見舞いとお散歩

ここ2週間、ずっと雨が続いていた。
今日は久しぶりに晴れ
慌てて洗濯物を干した。
ネットで見るベトナムの天気予報は、
これでもかというくらい当たらない、
というイメージが私の中で定着した。

今日は、ブルードリームのスタッフのティンと共に、
バサオ療養所(初キャンプ)のムエイおじいちゃんに
会いに、近くの病院を訪れた病院
義手を取り付けるため、ハノイへ来ているという。
(バサオからハノイまでは、バスで約2時間(約100km))
ムエイおじいちゃんの左手は、既に肘上まで切断され、
これから1週間以内に義手を取り付け、退院するという。
会ってみると、元気そうだった。
以前から心臓に問題があると言い、
バサオで会う際にはよく咳をしていたけれど、
今日はそんな様子もなかった。
髪型が変わったからか、少し若くすら見えた。
ほんの30分程度の訪問だった。
バサオからもう一人、ティエンというおじいちゃんも、
義足を付けるため、同じ病院に入院していた。

ベトナムで、療養所以外の地元の病院を
まともに訪れるのは、今回が初めて。
日本と比較すると、どんなにベトナムで有名な病院とはいえ、
やっぱり衛生面は結構疑問が残る。

ムエイおじいちゃんは6人部屋に入院。
部屋は薄っすら暗めで、
各ベッドの仕切りはなく、
4つは普通のベッド、もう2つは
折りたたみ式のような簡易ベッド。
ベッドの間は、人が2人立てるスペースのみ。
本当に寝るだけの部屋。

この部屋は、皆ハンセン病療養所から
来ているという。
中には1人、10代らしき女性の姿も。
これまでのキャンプでは、
中国でもベトナムでも、
村人(回復者)は年配の方が殆どだったため、
同世代の人でもハンセン病を患うという現実は、
資料や数字上では理解しているつもりでも、
実際に会って初めて実感がわく。
日本では、同年代の人がハンセン病にかかることは、
まずないに等しい。
というよりも、年齢問わず、そう言えるはず。

ムェイおじいちゃんのいつもの質問が始まった。
「結婚したか」
ベトナムで結婚するか」

「まだ結婚していないよ」もうやだ~(悲しい顔)

「おぉ、今何歳だ?」

「25歳。」

「あぁ。もう歳だな。」

「日本ではまだ歳じゃないよ!(きっと)」

「おぉ、そうか。」

ベトナムの女性の多くは、22歳~25歳くらいでもう結婚する。
最近でこそ、都会では結婚が遅くなってきているけれど、
それでも26、27歳くらいまでには大体する。
殆どのベトナム人の友だちはそう言っていた。

女性の場合は30歳を過ぎると、
結婚がかなり厳しくなるとも言っていた。
一方男性は何歳でもよいとか。

因みに、定年退職は男性が60歳、女性が55歳らしい。

その他、男女で差を感じること。
夜は出歩かないので、信ぴょう性がないかもしれないけれど、
自分の限られた狭い行動範囲で感じることは、
女性は殆どタバコ禁煙を吸ったり飲んだりビールしないということ。
というよりも、タバコはホーチミンに行った際を除き、
まだ見たことがない。
周囲のベトナム人に尋ねると、女性の喫煙・飲酒は
あまりよいイメージがないという。
実際、ベトナムで学生とキャンプをやっても、
中国キャンプのように飲みたがる地元の学生はいない。
飲むとすれば、療養所の院長や村長に勧められた時くらい。
それでも、女子大生の多くは「飲めない」と断ることが多い。

でも外国人は別枠があるようで、療養所関係の方は特に、
日本人キャンパーが飲むと喜んでくれる。

ベトナム人の話を聞いていると、
まだまだ男社会というイメージが強い。
でも街中で観察していると、女性はおしとやかで
男性を支えるというよりもは、
ドーンと構えるきもったま母ちゃん。
日本とはだいぶ違う感じで面白い。

子供の教育も厳しい。というか、普通に怖いあせあせ(飛び散る汗)
場所かまわず、怒鳴り散らす人をよく見かける。
ご近所さんも例外ではなく、毎日のように
怒鳴り声と泣き声が聞こえてくる。
何を言っているのかサッパリわからないのが救い。


夕方はトンニャット公園(Thống Nhất)へ散歩に。
(今カメラのSDカードがないため、撮影不可。)

家族連れや友だちと一緒に散歩に来ている人が沢山。
公園の一歩外とは別世界。
中央には大きな池があり、その周りでサッカーや
バトミントン、チェス、釣り、エアロビックスなど、
様々なスポーツをして楽しむ人の姿が。
公園は、朝5時から夜10時まで開放されているという。

久しぶりに晴れの陽を浴びて元気になった。