まりぽの楽描帳

『意識×出会い×行動』で人はいくらでも変わり、成長できる。『幸せの形』は人それぞれ。日々の海外生活(今はベトナム・ハノイ)を好き気ままにアップ。

キャンプの意味を問う

村人はいつも言ってくれる。
「来てくれてありがとう。」
「帰っちゃうと寂しくなる。」
「ワークのお陰で便利になった。」

でも、本当にこれでいいのか。
ベトナムハンセン病療養所で、
ワークキャンプは村人にとって、
果たしてどのような意味があるのか。
どれだけ意味があるのか。
もしかすると、キャンパーが来るよりも、
日々の生活が楽になるお金の方が必要なのでは。
(実際お金が必要だと言われたことは何度もある。)
あるいは、食べ物の方が嬉しいかもしれない。
キャンプは行なっても年に2回。
キャンプの間に訪問しても、
年に数回と限られている。

村人の言葉を多少なりとも疑ってしまう私は、
ひねくれているのだろうか。
どうしても、村人が自分たちに(特に私に)、
こちらのマイナスになるような気持ちを、
正直に言ってくれる気がしない。
自分の接し方に問題があるのかな。


「他にももっとニーズがあるかもしれない。」
「村のことや村人のことを、まだよくわかっても
いないのに、今やめてしまっていいのか。」

そんな思いのある人もいて、話し合った結果、
今回またドンレンへ行くことになった。
でもそんな思いのあった人は、
今回キャンプに参加できなかった。

初キャンプからずっと、
疑問を抱きながらやってきた。
これでいいのか、と。
今回のキャンプもそれは同じだった。

ワークキャンプは本当に必要?」
ワークキャンプをやること=エゴの押し付け」
になっていなかったか?
「人を助けている」「人が喜んでくれている」という、
キャンパーの自己満足になっていないか?
ワークキャンプ以外にできることがあるのでは?」
「何か大きな勘違いをしていないか?」

この疑問を抱きながら、
モヤモヤしながら、
これ以上キャンプを続けたくない。
一旦、キャンプから離れよう。

中国キャンプにとらわれず、
一旦頭を真っ白にしたい。