まりぽの楽描帳

『意識×出会い×行動』で人はいくらでも変わり、成長できる。『幸せの形』は人それぞれ。日々の海外生活(今はベトナム・ハノイ)を好き気ままにアップ。

キャンパー決定

ミニキャンプのキャンパーが決まった。
合計16人。ミンチュウも入れて。

どうか、キャンセルがありませんように。
今回は、折角申請をしてくれたのに、
人数の関係(泊まる部屋の大きさや移動の車など)で、
参加してもらえない学生が数名いる。
なので、各自申請に責任を持つため、
皆一律20万ドン(約755円)を事前に集めることになった。
集めたお金は、返金されない。
が、大半の学生がテト正月に入り、
今週末から帰省。
回収、失敗(笑)

信じよう。
キャンセルがないように。


話は変わって、去年末、
なまった身体を動かすために、
クラスメイトに紹介してもらったジムへ行ってみた。
そこで、欧米出身の
若い女性数名と知り合った。
ベトナムには1年滞在の予定で来たけれど、
中には、好きなので延長するという人も。
皆、英語の先生らしい。
仕事の人もいれば、ボランティアもいる。
1つ共通しているのは、
ベトナム語がほとんど話せないこと。
仕事で忙しいから、
勉強する時間が作れないのかもしれない。
でも欧米の人はそもそも、
その地に溶け込もうというよりもは、
自分のスタイルを保つ人が多い傾向にあるように思う。

日本で、あるいは日本人からよく耳にするのは、
アメリカに住んでいた=英語が出来る
〇〇(海外)に住んでいる=(折角だから)現地語を勉強(しなくちゃ)

折角海外に住むなら、現地語をマスターしておくと……ごにょごにょ。

何だろう、この違い。
欧米人でも、
その地ににすっかり溶け込んで、
現地語がペラペラで、
感覚も現地人化している人は、
世界中に沢山いると思うから、
一概に決めつけてはいけないけれど、
傾向として、
日本と欧米の人の考え方が、
根本的に違う気がする。
どうしてだろう。
加えて、欧米の人は、
現地に何年住んでいたとしても、
そしてその割に、
全く現地語が話せなかったとしても、
そんな自分を恥じる気配はない。
後ろめたさもない。
我が道を往くかんじ。
どうしてだろう。

逆に日本人はどうして、
「せっかくなら」
「…しなくちゃ」
という傾向があるのだろう。

ただの勘違い?

現地語をマスターし、
海外で活躍している知り合いの方々が、
共通して言っていたこと。
「現地語が話せるのと話せないのでは、
地元の人との人間関係が全然違う。」
そうか。

誰にも強制されてないのに、
圧迫感を感じる。
勉強が苦手な私には、
語学も苦痛でたまらない。

ベトナム語がいやだ。
モヤモヤが増し、
気持ちが更についていかなくなった。
何のためにベトナム語を勉強してるんだろ。

授業料が無駄なので、
今週で授業に行くのをやめた。
さよーなら、ベトナム語クラス。