まりぽの楽描帳

『意識×出会い×行動』で人はいくらでも変わり、成長できる。『幸せの形』は人それぞれ。日々の海外生活(今はベトナム・ハノイ)を好き気ままにアップ。

バサオ療養所訪問

今日はバサオ療養所へ行った。(2010年8月キャンプ開催地
今年からオランダ救らい協会とブルードリームズが協力し、療養所で調査活動を行うという。

※オランダ救らい協会:ベトナムをはじめ、長年海外でハンセン病回復者・患者や障がい者の支援を行っている団体。

オランダ救らい協会のスタッフが作成したアンケートに、ブルードリームズの調査隊が情報をうめていく。この調査は月一ペースで、毎回別の療養所で行われる。メンバーはその都度募集し、10代後半から20代後半の学生・社会人が中心。私は一緒に同行し、ワークキャンプの観点から情報収集。

とはいえ、今回は既にキャンプを実施したバサオなので、村人と交流ができればそれでよかった。

今回、印象に残ったことが2つあった。

①村人の帰郷

去年の夏、キャンプ中にずっとワークを見つめるギーというおじいちゃんがいた。笑顔が素敵でユーモアがある、一人暮らしのおじいちゃんだった。そのギーが今回いなかった。恐る恐る通訳の子に聞いてもらったところ、一年間家族と一緒に過ごすことになったという。びっくり!

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(ギーおじいちゃん)

キャンプ中「状況はよくはなったけれど、療養所にはまだ差別がある。家族と中々会えないから寂しい」と話していたギーさんが印象的だった。

どんなきっかけでどういう経緯で一緒に暮らせることになったのかわからないけれど、本当であれば凄く嬉しい話だし、中国の状況とはやっぱり違うのかなと思った。

②キャンプは想像以上の影響
療養所の中をプラプラ歩いていたら、一人のおばあちゃんが声を掛けてくれた。そして、手に持っている写真を見せてくれた。覗き込んだら、バサオキャンプの時の写真だった。前回訪問した時に持って来たもの。誰がやってくれたのか、濡れても大丈夫なように、綺麗にコーティングされていた。それを大切に棚の上に飾っているという。

他の村人も貴重品などと一緒に、キャンプの時の写真を大切に保管してくれていた。

バサオでは、来るたびに「写真を持って来て」と言われたのを思い出した。

写真なんて自分にとってはいつでも、どこでも、誰とでも撮れるもの。ネットで友達と共有できるから、印刷なんてまずしない。携帯電話のボタン一つで写真を撮り、もうワンプッシュで世界中どこへでも送れる。

でも村人にとっては違う。殆ど私物がなければ、写真もない。村人にとっての写真一枚は、そして写真を誰かと撮ること自体、私が想像する以上に大切な、特別な意味を持っているんだと、この時初めて気付かされた。

そして村人と私達が出会えたことも、珍しいこと。

目の前のおばあちゃんが、別れ際に泣いてしまった。夏のキャンプ後、キャンパーが帰ってしまい、療養所の中が凄く寂しくなったと。

「自分達が生きている間に、早く結婚して子供を連れて来てね」と。

キャンパーは、村でのキャンプを終えたら通常の生活に戻り、慌ただしくなる。

次へ次へ、前に前にと進み、時に大切なことを忘れてしまったり、感動したことも気付けば過去に置き去りのまま。でも村人にとってキャンパーが来るということは一大事。

バサオでのキャンプは、ワーク量が多すぎて、殆ど村人との交流に割く時間も余裕もなかった。だから、あまりいい関係性も築けなかったと思ってた。それでも、実際には自分が思っている以上に村人への影響は大きかったのかもしれない。

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(始めてバサオを訪問した際の写真)

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(皆でコショコショ、何話してるんだろう)

今回の調査訪問で新たな情報を耳にした。
バサオで暮らす村人は全員、2015年にはここから2kmほど離れた別の場所へ移動することになるという。今の療養所は観光施設にする為、政府からの要請だとか。
移動先は今よりはるかに規模が小さく、緑も少ないという。村人にとっては迷惑な話。

バサオでまたキャンプを実施することを考えていた私としても、改めて考える必要がある。近い将来移住してしまうなら、大きいワークはやるべきではないのでは?
それならワークにこだわらず、週末にミニキャンプをして庭の掃除の手伝い、チェス、マッサージ、部屋の片付けなど、別のことをしたらいいか…。

ハンセン病×ワークキャンプを通じて考えさせられること、気付かさせること、学ばされることが多い。