まりぽの楽描帳

『意識×出会い×行動』で人はいくらでも変わり、成長できる。『幸せの形』は人それぞれ。日々の海外生活(今はベトナム・ハノイ)を好き気ままにアップ。

気仙沼市・唐桑キャンプ

4月中旬に宮城県気仙沼市・唐桑を訪れた。
Friends International Work Camp(通称FIWC)が主催する震災救援・復興支援プロジェクトに参加した。
現地での詳しい活動内容・情報は以下のサイトでご覧になれます。

FIWC活動報告:
http://fiwc.jp/index.html

加藤拓馬ブログ『遠東記』:
http://blog.canpan.info/entoki/

最初に唐桑入りしたメンバーは3月24日から活動を開始した。
責任者を除き、参加者は基本的に一週間おきに入れ替わり、私は第4陣として4月12日から19日まで、他5名の参加者と現地を訪れた。

唐桑に着いて最初に感じたのは、地元の方々が予想外に笑顔で淡々とされていたこと。
自分が見ているのは、地元の人の側面のほんの一部にすぎないことはわかっていたけれど、それでも驚いた。
家が無くなり、普段の生活が送れない状況の中、人に気を遣う気分でもなければそんな余裕もないはずなのに、地元の人達は外部から来た私達に優しく接してくれた。
最初に唐桑を訪れたFIWCのメンバーは、地元の方々と時間をかけて徐々に信頼関係を築いていった。行く時期によっても印象はだいぶ異なるのだろうなと思った。

私達は馬場さんという地元の方の物置部屋を一室お借りし、寝泊りさせていただいた。
すぐそばには海があり、こちらのお宅も5分程歩いた先に海岸があった。
家は高台にあったため、津波に流されることはなかったけれど、馬場さん宅から2分程坂を降った先の別のお宅は津波にのまれ、家が崩壊し、隣接したガソリンスタンドの分厚いコンクリート状の壁が押し寄せていた。

また、別途仕事で石巻へ行った際にも感じたけれど、ほんの数メートルの差が運命を左右する光景が街中に広がっていた。
一本道を挟んだ手前と反対側で、土台から根こそぎ持って行かれている家と、何事もなかったかのようにそびえ立つ家が並ぶ。
土地の高さがそれほど違うわけでもないのに。
眼と鼻の先の距離で、これほどまでに状況が異なるものなのかと驚いた。

唐桑での活動は主にいろいろな物(がれき)の撤去。散乱した粗大ごみ、ガラスの破片、小物などを自衛隊に持って行ってもらうため、道路脇にかき集めた。
ボランティアセンターがない唐桑での活動は、地元の方々の口コミで広めてもらった。
前日までにFIWCの現地リーダーに電話があり、作業の依頼をいただくこともあれば、当日連絡をいただくこともある。
その日特にやることがなければ住宅街を歩き周り、できることをはじからやる。
唐桑に自衛隊が入ってきたのは、私たち第4陣とおおよそ同じ時期だったようなので、この時点で私達素人でもできることはまだまだ沢山あった。

地元の方と一緒に個人宅を片付けると、よく休憩中にお菓子や飲み物をくださった。 自分たちにいちいち余計な気を遣わせてしまっていることを、飲食に限らずいろいろ疑問に感じた。

お風呂は、近くの「砂子」という民宿で、毎日18時から19時の間でお世話になった。

一週間の滞在中、一日オフの日に陸前高田を訪れた。人が住んでいた気配などなく、なにもかもがなくなっていた。ある地域では近くの工場から流れ出た大量の魚があちらこちらに散乱し、異臭を放っていた。その魚を狙い、大量の鳥が空を飛び回っていた。

自然の力に人間はなすすべなどない。
本当にその通りなんだなぁと思った。

ここで津波に襲われた人達の恐怖。
大切な人を失った悲しみ。
物は溢れかえっているのに、大切な人はもういない。

地元の人の気持ちを「わかる」なんてことは当然決して言えず、この場に来て、地元の人と会って話して、ここの空気を吸って、最後は何も言えなくなった…。

ボランティアが現地へ飛び込むのは迷惑だという考え方がある。

何かやりたいという思いだけで一時的に行動するのはいかがなものかと。

でも、もし何かやりたい・何かやらなきゃという思いをもつ人が誰一人いなかったとしたら、それはそれで何もおこらない。

今回は行動しようと立ち上がった人達に便乗して、私も活動に参加させてもらった。 結局自分がどう考えてどう行動するか、それが全てだと思った。
周りに流されることなく、自分で判断すること。
そして行ったからには、できることを続けること。直接的であれ、間接的であれ。

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気仙沼・唐桑)

 (※地図追加:2019年1月27日)