まりぽの楽描帳

『意識×出会い×行動』で人はいくらでも変わり、成長できる。『幸せの形』は人それぞれ。日々の海外生活(今はベトナム・ハノイ)を好き気ままにアップ。

FUJI奨学金授与の旅③

午前中:ヴォーティサウ高校にて授与式に参加

ヴォーティサウ高校と、グェンディンチュウ中学校の合同授与式が行われた。
今回の旅で、初めて高校生以下の学生と接する機会。

授与式の会場に向かう途中、通りがてら授業中の教室をちらっとぞき込むと、学生がこちらに気付き、揃って外国人の私たちを興味深そうに眺める。
スター気分で手を振り、授業を妨害。

予定より30分程早く到着してしまったにも関わらず、学校関係者の方々は全員揃い、私たちを暖かく出迎えてくれた。
先生方と女子高校生は素敵なアオザイに、中学生は可愛いユニフォームに身を包んでいた。

1人の中学生が奨学生を代表し、FUJI教育基金へ感謝の言葉を述べてくれた。
メモを読み返し、こんな話しをしてくれたことを思い出した。

一生懸命勉強することで、家族を助けることができ、それが脱貧困に繋がる。
奨学金をもらえたことは、努力が実った1つの証。

何となく印象に残る言葉だった。

「自分が◯◯をしたい。」
「自分が〇〇の仕事に就きたい。」
「親が子どもを養ってくれる。」

当然のように「自分」ばかりを主張してきた私など、思ったこともない奨学生の言葉。

中学生にしては随分大人っぽいスピーチだったように感じた。
テレビでもなく、新聞でもなく、目の前にいる学生が言っている言葉だから、心に残った。

でもこのような発言は彼女に限らず、他の奨学生もしている。
共通しているのは「家族」というキーワード。

「お金持ち=幸せとは限らない」
よく聞く言葉だけれど、本当にそうだろうなと思った。

ふと、自分自身の家庭における役割、存在価値、存在意義を自問した。
これまで、私は家族のためになにをした?
してもらったことなら、数えきれないほどあるのに。
したことは思い付かない。


授与式の終盤には、学生が歌を披露してくれた。

あ、やっぱり…笑

ベトナムの人は特に歌が好き。」
初めて渡越した時以来、その印象が私の中で非常に強い。

ハンセン病の療養所へ行き、そこで暮らす子どもと交流をすると、親や先生方の多くが私たちへのお礼にと、歌を歌うよう子どもたちに進める(強制的にも見える)。
ベトナム人の友達の多くも、本当に気持ちよさそうに歌う。
いつでも、どこでも。

流石にこれまでの大学で歌の披露はなかったけれど、今回は中高生が揃って歌ってくれた。


全てのプログラムを終え、質疑応答の時間が設けられた。

FUJI教育基金のどなたかが、入学以来毎年奨学金を受け取っている学生がいるかどうかを尋ねたところ、2人(私の席からは2人見えたけれど、もしかすると陰に隠れて他にも数名いたかもわからない)の学生が挙手した。
このうち1人は高校2年生でもう1人は3年生。
それぞれ2年、3年連続奨学金を受け取っているという。

正直、その少なさに驚いた。

旅中気になっていて、そのままにしてしまった疑問があった。
FUJI教育基金では、奨学生の選出は各学校に任せているということを、授与式を通じて理解した。
そして今回ヴォーティサウ高校を訪問し、奨学生の多くが毎年変わるという印象を受けた。

最初、奨学生の多くは家庭の事情により、奨学金なくして学校に通うことが困難であると理解していたので、毎年奨学生が変わるという状況の中、学生個々人に対する継続的なフォローアップはどのようになされているのか気になった。

去年奨学金を受け取り学校へ通えたけれど、今年は選ばれず、結果的に退学或いは進学しないという学生はいないのだろうか。
もしいるならば、どれくらいいるのだろうか。

同じ学生を必要に応じて入学から卒業まで面倒を見るという方法をとる学校もあるのだろうか。
でもそうすると、他の学生にチャンスがまわらず、フェアではないのだろうか。

などなど…。


その後、ヴォーティサウ高校の先生方と近くのレストランにて昼食。
授与式で司会を務めた英語教師のロアンさんと隣りの席になった。
とても若く私とあまり変わらないと思ったので失礼を承知で聞いてみたところ、20代後半で既に3歳の子供がいるという。
ビックリ。

ロアンさんに、なぜ教師になったのか尋ねてみたところ、
「親の希望・勧め」だと言う。

ベトナムにおいて、教師は女性にとって最高の仕事だと考えられていると教えてくれた。
ロアンさんいわく、彼女の時代はまだ親の言うことが絶対だったという。

次いでなぜ英語の教師になったのかを尋ねてみたところ、これまた、「父親の希望・勧め」というので驚いた。
よくグレなかったなぁ…。

他にも、ベトナムでは育児休暇が4ヶ月あること(収入あり)や、親が信頼し安心して子供を預けられる保育所を見つけることが困難な現状を教えてくれた。

因みに女性の先生方がアオザイを着ているのは、学校の決まりだという。
アオザイが制服。
日本で教師が着物を着る感じだろうか。
大変だ。太ったらもっと大変。
私が小中学生の頃、日本の先生はジャージを着ていた。


午後:ビンチャウ中学校とビンチャウ幼稚園を訪問

中学校はわずかな滞在で、学生と交流する時間が殆どなかったが、バレーボールやサッカーをして遊ぶ学生に混ぜてもらい、少し身体を動かした。
スポーツは言葉がいらないから打ち解けやすい。

中学生の多くは、年齢よりも若く、そして小さく見えた。
中には小学校低学年かと思うような子もいた。
それでも印象的なのは、やっぱりエネルギーと笑顔。

FUJI教育基金の皆様が初めてこの中学校を訪れた時とはだいぶ変わっているのかもれない。その変化を一緒に味わうことができず残念に思いつつ、私にとっては今回のこの明るい印象が非常に強い。

ビンチャウ幼稚園は、本日休日のため、子どもたちはいなかった。
各部屋にはおもちゃの他、壁や天井一面に様々な飾り付けがなされていた。
先生方がアイディアを出し合いながら、時に自費で材料を調達し、手作りで作った飾りがたくさん。
本当に、子どもにとっては夢のような部屋。


夜はビンチャウ幼稚園の先生方と会食。
今晩もお鍋。
でも毎回違うお鍋。こんなに種類が豊富とは。